六道珍皇寺略縁起

六道さん

京都では、「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎え(しょうりょうむかえ)に参詣する寺として世に名高い当寺は、山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。

当寺の開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)で、平安前期の延暦年間(782年〜805年)の開創である。当寺は、古くは愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれた。
しかし当寺の建立には、諸説があり空海説(「叡山記録」ほか)や小野篁説(伊呂波字類抄・今昔物語集)をはじめ、一説には宝皇寺(ほうこうじ)の後身説もある。
宝皇寺とは、東山阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)(鳥辺山)山麓一帯に住んでいた鳥部氏が建立した寺で鳥部寺とも呼ばれていたが、今はその遺址(いし)も明らかでない。

薬師如来坐像(平安時代・重文)

またさらには、承和3年(836年)の平安前期に当地の豪族であった山代淡海(やましろのおおえ)等が国家鎮護の道場として建立した(「東寺百合文書」)など、当寺の起源には多くの説がある。
この珍皇寺はもと真言宗で、平安・鎌倉期には東寺を本寺として多くの寺領と伽藍を有していたが、中世の兵乱にまきこまれ荒廃することとなり、南北朝期の貞治3年(1364年)建仁寺の住持であった聞溪良聰(もんけいりょうそう)により再興・改宗され、現在に至っている。
本堂には薬師三尊像(京仏師中西祥雲作)が安置されているほか、境内には閻魔堂(篁堂)(えんまどう:たかむらどう)、地蔵堂、鐘楼等がある。また重要文化財の永久保存のために収蔵庫(薬師堂)には重文の本尊薬師如来坐像(平安時代)が安置されている。

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